拘束時間の長いバイトが終わり、ようやくバスに乗り込む。


そのバスが彼の家の前を通ると気付いた時、無性に会いたくなって、何も考えずに降りていた。




ばかばかしい、もうすぐ補導されるってのに、何やってんだか。
こんなとこで降りたら家まで20分もかかるじゃん。


判っているのに動けなくなったんだから、私は相当弱っていたんだろう。
逃げ場にしたくない君に、“会いたい”と願ってしまうんだから。





家の前まで行ったら帰ろう、それで十分ってことにしよう。
言い聞かせて、弱虫な自分を奮い立たせた。

世界は静かで、夏の日差しとか青く近い空とか、全部嘘みたいだ。
今日は涼しいから尚更だ。
薄雲のかかった空は曖昧で、どこか妖しい雰囲気を漂わせている。


彼の家の前に辿り着いて、ゆっくりと見上げた。
部屋の電気が消えている。もう寝てしまったのだろうか。
そりゃそうか、部活忙しいんだろうな。

残念に思いつつ、良かったと安堵した方が大きいかもしれなかった。
電気がついてたら、余計会いたくなってしまう。






少しだけすっきりした気持ちで転進、元来た道を戻る。

すると―

「、さん…?」

なんてことでしょう、寝ているはずの彼は、コンビニ袋を携えて今ここに。

「あ、かや…?」

思わず足を止めた私に彼―赤也は小走りで駆け寄ってくる。

「え、え!?なんでがウチの方から!?」
「え、や…たまたま?」

何故そこで隠そうと思ったのか―それは定かじゃない。
多分恥ずかしさとかいつもの強がりとかがぐちゃぐちゃになってしまったからだろう。

「だって今日バイトの日でしょ?ここ通る訳無いじゃん!」

赤也も追及の手を緩めない。
そりゃそうか。不思議だよな、恋人が家の近くまで来て理由がたまたまって。





どうしようかと考える前に、赤也の手が私の頬に触れて、少し屈んで俯いた顔を覗き込む。

「どした?何かつらいこと、あった?」

優しい、どこまでも優しい声に涙腺が弛んだ。

いとしい、

その言葉が浮かぶと同時に、後先考えず抱きしめた。

いや、“抱きしめた”よりも“抱きついた”がきっと正しい。
一瞬肩を震わせた赤也だったけど、すぐに、今度は文字通り私を“抱きしめた”。







「疲れたら、無性に逢いたく、なった。」

赤也の楽な体勢に抱き直された心地よい腕の中で、ポツリと呟くと、赤也が破顔した。

「それ、本能で求められてるってこと?
 すげー、うれしい。」

へへ、と照れ笑いが可愛い。
二人きりの時は敬語を使わないから、赤也の作らない言葉が直接に届く。
喜びを噛み締める一方、心の中でくすぶる苦い気持ちが、重い息を吐かせる。

「私は嫌だった。赤也に会いに行くのを逃げ場にしてるみたいで。」

吐息に逃がしてものしかかる重さに心底参った。
赤也は片腕を解いて私の頭を撫でて言う。

「確かに、俺が嫌ならそれはの都合になるけど、俺が嫌じゃないなら構わないでしょ。
 モチロン、俺は後者。」

なんでか判るよね、って付け足しながら指先を遊ばせる。

「…うん。」
「あーもう、真面目すぎなんだよは!
 こんな夜に会いに来てくれるオンナを嫌がる訳無いっしょ?」

その真意を理解していても、相変わらず歯切れの悪い私に業を煮やし、少し口調がきつめになる。
それでも背中にまわる腕の力はどこまでも優しい。



甘えても良いですか。
本音をぶつけても、泣いても、良いですか?


答えはもう出ている。




赤也の力強さとあたたかさを受けて、そっと喉に滑らせた。


「赤也。」
「うん」
「逢いたかった、の。」
「うん」
「だから、逢いに来たの。」
「ん。」


ようやく出た嘘のない気持ちにはご褒美。
額へのキスと、手を繋いで帰る夜のデートが待っていた。


「これは男の沽券に関わる問題だから。」

と、頑として譲らなかった赤也に、別れ際私から口づけを送った。





今なら言える、君に会いたい。






081003