濡れ縁に座って、ぼんやりと空を見上げる。

真ん丸とも楕円とも言い難い月が、遠い空に光っている。


もうすぐ満月だろうか。



源氏が無事勝ち戦を飾り、宴を上げた次の日だ。

次の戦準備があるらしく、「今日は一日休養しろ」と九郎さんに言い渡された。

皆、各々やりたい事をしていて、私はと言えば市でこっそり購入した酒を一人で呷っている。

強い弱い云々よりも飲んだことがないので、あまり美味しいと思えないし、だんだんクラクラしてきた。

自覚があるのにやめられないのは、自棄っぱちなのか何なのか。


考えている内、杯が空になったので真横に置いてあった徳利に手を伸ばした。


















その手を阻まずにはいられなかったのは、今日お前がこれを買ったことを知っていたから。


「そこまでにしときなよ。」


俺はよりも早く徳利をつまみ上げて揺らした。

両の手で覆えるか覆えないかといった程の大きさであるそれは、相応の重さであるだろうと思ったが、ちゃぷんと控えめな音が鼓膜を擽っただけだった。


「ヒノエ、君?」


の驚きを孕んだ瞳に俺が写る。

誰が見ても怒っていると判るようなしかめっ面だ。


「何をしてるんだい?」

「あ、あはは、酒盛り?」


顔をひきつらせながら首を傾げる様子は愛らしいけど、誤魔化されてあげる気は毛頭無い。


「一人でこれは、飲み過ぎじゃないかな?」

「や、そうかなぁ?九郎さんだって宴の時これ以上飲んでるよー」

「九郎は飲み慣れてるだろ。

 どうしてこんな無理してるのかな、姫君は。」


譲が、姫君達の世界では“ミセイネン”とか何とかで二十まで酒は飲めない決まりなのだと言って、宴の時でさえあまり口にせず、また強くも無かった。

も大概一杯目だけでやり過ごしていたのだから同類だろう。


だったら何故、それを口にするのか。
















「無理してない…なんて、ヒノエ君には通用しないか。」


自嘲気味な笑みが漏れるのを、止める事なんて出来なかった。

これは完全に無理と言うのだろう。

例え私達の世界にある酒とは違って、強烈なアルコールでは無いにしても。


案じてくれるヒノエ君の真摯な態度にだろうか、少しは酔いが回っているのだろうか。

判らないけれど、口から零れたのは素直な心だった。


「早く酔いたいから、かな。

 でも、気持ちが悪くなるばかりで、ちっとも楽しくならないの。」


言いながら空の杯を持て余すと、正面に居た彼の手がそれをも取り上げた。


「ちょっ、それどっちも私物なんだけどー!!」


慌てて立ち上がると少しふらつく。

何とか柱に手をついた私に降ってきたのは、


「だめだ。もうおしまいだよ。」


いつもと違って怒気を含んだヒノエ君の声。


「だ、明日オフだから良いじゃん!」

「気持ちが悪いのならもう飲んじゃダメだ。」

「やだ!かーえーしーてー!」


諫めるような口調に、頭を振って抵抗する。

我ながら駄々っ子のようだと頭の片隅で思う。止めることは出来ないけれど。

彼に近寄ろうとすると牽制に腕が伸ばされ、距離を取られた。


「聞き分けのない子には返さないよ。」















距離を置いたのと同時に、熱を孕んだ指先が、俺の肩をかすめる。

行動から言動から、十分酔っているのは明白だった。


こりゃあ、どうにもならないな。


やれやれとため息をつくと、とりあえず危なげに立っているを元の位置に座らせる。

俺も、徳利をから遠ざけながら、その隣に腰を下ろした。

もっと根本的な話からした方が良さそうに思えたのだ。

だってこんなの、あまりにらしくないから。


「どうして酔いたいんだい?」


そう問うと、困り顔で俯き口を噤んだが、ややあって小さく


「眠りたい」


と答えた。


「眠りたい?」

「うん。一日中、何も考えずに眠り続けたい。」


顔をあげて空を見上げたは、見ているこちらが切なくなるくらい張り詰めた表情で、いつもの口説き文句も言葉に出来なかった。



強く在ることの難しさは、判るつもりだ。

頭領の俺が弱気じゃ、話にならない。

どんな時でも不敵に笑ってなきゃいけない。


同じく神子として強く在ることは、時としてを苛むであろう。

らしくない、なんて言ったけど、当たり前のような気がした。

知らない異世界で気高く咲いていられるように、いつだって苦しさは押し殺して。

夜露に朝露に濡れることすら、笑ってやり過ごす日々。


そんなお前を、熊野へ連れ去りたいと思った。

源氏の神子なんてやめさせて、戦なんて関係ない熊野で普通の女の子になったを、一生守ってやりたいと、俺は切に願ってしまう。


いいや、願わずには居られなかった。




「。もう一杯、あと一杯だけ飲ませてあげる。」


とくとくと注がれた酒から、ほのかに甘い匂いがする。

さっきまでと打って変わって杯を掲げる俺を見て、は呆気に取られ目を見開いた。


「ねぇ、これで必ず酔えるよ。

 とびきり良い夢だって見せてやる。」


悪戯っぽく片目を瞑ると自らに杯の酒を流し込み、との距離を縮めて、桜色の薄く開いた唇に酒を送った。


比例して口から無くなっていく酒の味は、悪くなかった。

だから、お前もそうであれば良い。


柄にもないことを考えた自分が少し可笑しくて、でも嫌では無くて。

が小さくノドを動かしてゆっくりと飲み込んだのを確認してから、体を離した。



「っ!」


当然のことながらは、頬を燃え上がる炎のような朱に染め、唇を手で覆う。


「ほら、赤くなった。酔えただろ?」

「ヒノエ君っ!」


酔いより恥じらいが勝っているのが見て取れない俺じゃない。

思った通りの反応に愛しさを感じながら、腕を広げた。


「さ、おいで?」

「へ?」

「今日はこの胸に抱いて、眠ってやるから。」


闇は深くなる一方なのに、月明かりに照らされたは白い肌を更に紅潮させる。

今の姫君には、刺激が強すぎたかもしれない。

こんな時に手を出すつもりは無いんだけど、そう言ったってが否と告げないはずが無いのは予想済みなので、有無を言わさず抱え上げると褥へ向かった。









規則正しい呼吸が、彼女に安息をもたらしたことを告げる。

手で髪を梳くと、さらりと零れ落ちていく。

あまりにも綺麗で、思わず何度も何度も繰り返した。





全てを捨てさせて、熊野で二人で幸せになりたい。


だけどお前はそんなの望まないだろうね。


「判ってる…よ。」


ならば、俺は―――




こぼれた涙、あどけない寝顔に口づけを送ると、一層強く抱きしめた。






月夜の花






080719 これシリアスって言うのかな。判らん。 お酒の話が書きたくて、何となくヒノエが動いてくれました。 未成年は飲んじゃダメですよ!!!! あっちの世界でなら多分可だと思ったのでこんな流れになりましたが。 あくまでもフィクションですので! しかしああぁ神子様に手を出さないとか流石フラトイだな! いや、今回は流れ的に違うと思いますがヒノエ君はえらいと思いました。 ちなみに裏設定でこの二人まだ恋人じゃないって言う。 ヒノエ→←神子様 的な。 翌日大騒動ですね。