静かな朝だと感じたのは久しぶりだった。

騒々しいとすら思える声が、今朝は聞こえない。




「いつまで眠って居るつもりだ!」

ああ、やはり静かでは無かったか。
だがいつもの朝というやつには何か違和感があって、首を傾げながら少し足を早めた。





「よう紫姫。今日は何があってるんだ?」

苦笑いしながら問いかけると、幾らか顔を曇らせた小さな姫が顔をあげる。

「勝真殿…。それが、様がまだ床からお出てにならないのです。」

そこでようやく違和感の正体に気が付いた。

ああ、アイツの声がしないのだ。








「おはようございますー…」

ようやく出てきた彼女は不機嫌を体現したような面持ちで、声低く唸った。

「花梨があれほどまでに動いているというのに、お主は何故そう平然としていられるのだ!」
「そりゃすみませんねー。」

小言を並べる深苑を後目に彼女はやる気なく言葉を返す。
端っからこの二人は仲が良いとは言えないし、いつだって些細な事で言い合いになって居るのだが、この態度はいささかやりすぎだと思う。

自分の主張を貫く、いつもの毅然とした強さを今日は微塵も感じず、ただ当たり散らしているようにしか見えない。


「、そういう言い方は無いだろ。」

ため息を吐いてから仲裁に入ると、俺を一瞥して、

「出掛けてくる。」

と、より一層眉間に皺を寄せて吐き捨てた。



「どうなされたのでしょう、さんは…」
「どうもせぬのだろう。あのような腑抜けだとは思わなかった!」

一際大きな足音を立ててが走り抜けて行った屋敷は、一気に静寂に包まれる。
普段では考えられない様子に妹姫は目を伏せ嘆き、兄は怒りながらもやはりどこか沈んだ様子で、手のつけようがない。
元を断った方が早そうだと彼女の後を追った。









存外、の姿は館のすぐ近くに見つけた。
どうせ勢いで飛び出した手前帰りづらいんだろうと呆れながら近寄ると、突然しゃがみこんで「ゴホゴホ」と咳込み始めた。

「オイ!」

駆け寄る俺を振り返ると、目にうっすら涙を浮かべていた。

「かつ、ざねさん…。」

俺の名を何とか一度だけ呼ぶとまた咳込んでしまう。


だいたいの検討はついた。
あとは理由を確かめる為に落ち着くのを待つほか無い。

とは言え秋の風は熱を奪う。を無理矢理抱え込んで館に連れ戻すのが先だった。





水を寄越すと、少し躊躇したが受け取った。

「風邪か。何で言わない。」

呆れ半分、怒り半分に問い詰めると、

「意味なんか無い」

と膨れっ面で不機嫌を前面に現しながら一言。
意味無くそんなことをするはず無いだろうが!と怒鳴りつけたくなるのをぐっと堪えると、ただ見るだけの姿勢に入る。
は気まずそうに視線を逸らしたが、こちらは構わずにじっと答えを待ち続けた。








「しつこい。」

しばらくして、観念したらしいがようやく口を開いた。

「悪かったな。」
「ごめんなさい、うそです。」

少し毒づいてやると、盛大なため息とともに頭を垂れる。

「…何かさ、昨日の朝くらいから喉腫れちゃってて。
 今日一日寝てようと思ってたんだけど適当な言い訳が思いつかなくて喧嘩しちゃった。」
「風邪以外の理由が欲しかったのか?」
「ウン。なるべくなら誰にも知られずに治しちゃいたくて。
 風邪引いたって言ったらさ、花梨は休んじゃいそう。紫姫も色々してくれるだろうし、八葉のみんなも深苑だって構ってしまうだろうし。
 お人好しが多いからねぇ、どうしようもない。
 ―それが嫌だった。」

目をつむって語るのは、不器用すぎる理由。

ついさっき、ぎゃあぎゃあケンカしていたヤツの台詞とは思えないほどだ。
だけど捻くれた照れ隠しの言葉が、の思いの強さを逆にあらわしている。



は少しだけ強がって、だけど眉を下げて笑った。

「もしこの1日でダメになったらどうしようって思うと言えないよ。」
「馬鹿か。」
「ばかだよ。」
「馬鹿。」
「…馬鹿だってば。」
「大馬鹿者。」
「そこまで言われる磐余は無くないですか?」
「いいや。最大級の馬鹿だ、お前は。」
「わっ」

延々と続く掛け合いに、流石に口を尖らせたの、少し熱い体を後ろから抱き寄せる。

「そんな馬鹿なお前のために、俺の一日くれてやるから、早く治せよ。」
「この話聞いたら、普通どっか行ってくれません?」

納得いかないと振り返り睨んでくる姿に苦笑するしかない。
無理に決まってるだろ、と声には出さない代わりに、腹の前にまわした腕の力を強める。

「普通でも行かないだろ。
 それにこれは貸しだ。いつか返してもらう。」
「どうやって?」
「そんなの自分で考えろ。借りを増やしたくなきゃ風邪引くな。」
「…勝真さんむかつく。」
「それだけ言えりゃ上等だ。」

わしゃわしゃと頭を撫でると、は無言のまま俺に体を預けた。







お前が呆れるくらい不器用なのは判ったさ。

俺がそんな馬鹿なお前を愛しいと思ったのも確かだ。

頼れないなんて言わせない、そんな間柄になってやるから覚悟しとけよ。




なぁ、早くお前の声が聞きたいんだ。



俺は、いつもの朝を待っている。






芽生える愛しさと密やかな決意と。








080928