気付いてはいけない。
近寄ってはいけない。
触れてはいけない。

そうでもしなきゃ、駄目だったのに。



「知念ー知念ー」
「あい?」
「助けてぇぇ…」



情けない声だ、我ながら。
だけどどうしようもない。
そう、どうしようもないんだ。

あの日から、どんどん深みに嵌って、頭の中は凜でいっぱいで。
苦しくて、たまんない。




背中をさすられてようやく落ち着くことができた。
流石は知念だ。
「ありがと」と小さく言うと、そっと離れる指先。
目の端で追いながら、大きく息を吐き出した。

そんな私の様子を見て、だろうか。
「前から聞きたかったんだけど、」と知念は首を捻った。

「は凛を好きになったから背中を追ってる?それとも背中が好きになった理由?どっちさー?」
「…さぁね。」

卵と鶏、どっちが先かって問いがその答えになると思う。
正直もう、どっちだって構わない。
つまりは判らない。
判らない、けど。

「一つ言えることは」
「?」
「そのどちらよりももっと、凜を好きになったってこと。」

遠く視線を泳がせながら呟くと、知念の大きな手が私の頭を撫でた。









背中じゃ足りないだなんて、いつからそんなワガママになったんだろう。
あの日灯った火が、どんどん大きくなっているからだろうか。

気付け。気付くな。
このまま背を追い続けられれば良い気もするのに。
遠ざかってくれれば、それで構わないのに。


たった半歩近付いただけで、こんなに乱されるなんて。



「ー?」
「え、あ、何!?」
「やー歩くの遅いさー」
「ご、ごめんごめん。」

呆れ顔の凜が振り返って私を呼んで、ハッとなって駆け寄る。


最近、たまに凜と二人きりで帰ることがある。
前から、誘われて帰る時はぐだぐだになりつつも集団だし、普段はそれが当たり前なんだけど、
不意打ちで、「永四郎たちより先に帰るぞ」とか「わん忘れ物したから付き合え」とか言われて、いつの間にか二人になってるのだ。
理由は言わないから推測だけど、遅いから早く帰りたい、道連れにしやすい…そんなモンなんだろう。

そんなモンでも私には充分過ぎる程で、私は毎回五月蝿い心臓と戦いながら歩くんだ。



「いつもはもっと早いやし。何考えてるさ?」
「いや別に?」

素っ気なさを必死に取り繕うと、ぺしっと額に一撃かましながら、顔を覗き込んでくる。
その仕草と的確なツッコミにドキリとして、思わず目を泳がせた。

「やー、嘘付くん下手。」
「嘘じゃないし!下手でもないもん!」
「子供っぽい。」
「それは凜か裕次郎。」
「わんの方が裕次郎より大人さ!」

バレバレの態度を笑う凜にムキになる自分。
ぽろっと零した言葉は彼の導線にも火をつけたらしく、だんだんずれていく論点に気付かないまま、最終的にどちらが上かという言い争いにもつれ込んだ。



「どう考えても私の方が上!」
「わんの方がにぃにぃ!!」
「私が上!」
「やーは下!」

精一杯叫びきって肩で息をする。

「早く、妥協しろよ…」
「やっだね…!凜こそ、早く認めてよ。」

バテバテになってる癖に二人して強がって、何やってるんだろうなんて思った途端に、こみ上げてくるもの。

「ふ…」
「はは…」

口から漏れた瞬間に、今度はお腹を抱えて笑い始めた。

「ははっ…おっかし…!」
「何やってるんだろうな、俺達。」
「ほんとだよね。」
「ははっ…あー…腹痛い…」
「おかしすぎて涙出てきた。」


お互い顔を見合わせて「笑いすぎ」とか言ってまた笑って。
あたりが闇に包まれるまで、ずっと笑い転げていた。








「つっかれたー!」
「わん腹減って動けん…」
「ダメだよ、早く帰るの!」

ロマンの欠片もない会話が妙に楽しい。
私は鞄からいちごの飴を漁って、凜に放り投げる。

「おー、にふぇーでーびるー」

気のないお礼を聞き流しながら、私も同じものを口に放り込む。
少し溶け出した飴はべっとりとくっついて、頼んでもないのに歯形を取ってくれた。







触れられそうで、触れられない距離。
飴を軽く投げたらぶつかるくらいの。
頑張れば掴める服の端に手を伸ばすことすら出来なくて、



また今日も、近いのに遠い二人の距離にかき乱されていく。







まるでさざなみのような








081026